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神宮摂社・末社・所管社の歴史 その7 神前神社の歴史について

あるとき一人の神職から質問を受けました。二見方面の摂社・末社で、堅田神社や江神社の祝詞は「度会の二見に坐す」とある。
しかし神前神社の祝詞は「度会の宇治に坐す」とあるのはどうしてかと。
今日では二見町松下に所在する神前神社ですが、古く松下村は度会郡宇治郷に組み込まれていたのです。
意外に知られていないことですが、松下村が二見地区に転入されたのは、『二見町史』によると明治4年(1871)に至ってです。
つまり現在の五十鈴川派川の左岸は古くから二見郷であり、右岸にあたる松下村はかつて宇治郷に属していたのです。それは何故でしょうか。
神宮の巡回祭典で参向する権禰宜・宮掌・出仕の三人が山登りとして歩を進める難所とされているのが鴨神社と神前神社の二所であり、
後者の神前神社は長い急な石段を何段も登りきらないといけません。
しかし現在地に移転遷座されたのは明治40年のことで、その前は海岸崖頭に鎮座していたとされます。
元の旧地はどこなのか。今回はこれらの謎について迫ります。

講師 音羽 悟(神宮司庁広報室広報課課長)

日時

10月5日(火)      13:30~15:00 ※こちらの講座は満席となりました。

参加費

会員850円     ビジター 1,350円

定員

20名

場所

五十鈴塾右王舎

「神前」と書いて「こうざき」と読む神前神社は、数年前にご遷座された内宮の摂社のひとつ。
ここは、祈年祭・六月月次祭・神嘗祭・新嘗祭・十二月月次祭のいわゆる五大祭にいて、神宮の権禰宜・宮掌・出仕の3人が参向する場所で、これを巡回祭典と読むそうです。
神崎神社は、長い急な石段を何段も登った先にあるお宮です。しかし、いまの場所に転移遷座されたのは明治40年のことのようです。
音羽先生から、神前神社の歴史を詳しくお聞きしましょう。