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桑名十万石の幕末

桑名は木曽三川の海への出口として中世より港町と交易の中心として発展したところで「十楽の津」と呼ばれていました。
徳川の世になると家康の重臣本多忠勝が10万石で入り、城郭の増改築や大規模な町割りなどをおこない、桑名藩の基をつくりました。
後にその子忠政が2代藩主となり、大坂夏の陣で手柄を立て15万石に加増され、姫路へ移封されました。
その後は松平家が代々の藩主となり、以来紆余曲折はあったものの松平姓の藩主が幕末まで治めています。
その時の藩主は松平定敬、尾張藩主徳川慶勝や会津藩主松平容保などの弟にあたり、京都所司代に任命され、一橋慶喜と協力して京都の守備に勤めました。まさに大河ドラマの真っ只中の人物でもありました。
ところが事態は急転し、ここから桑名藩の悲劇がはじまったのです。
その激変の大変さは涙なしでは語れないほどですが、杉本先生にわかりやすくお話いただき、桑名藩の悔しさや無念を偲びましょう。

講師 杉本 竜(桑名市博物館館長)

日時

10月 26日(火)             13:30~15:00 

参加費

会員 900円     ビジター  1,400円

定員

20名

場所

五十鈴塾右王舎

徳川の禄を食んで300年近く、武士にとって徳川の世が無くなるのは、存在自体が無くなるに等しい事でした。
徳川方につくか、新政府方につくか、其々の藩が右往左往し、三重県内の藩も対応が分かれました。
津藩は32万石という大藩でしたが悩みぬいたあげく朝廷の命によって政府方につき、今でも藩祖高虎以来の変わり身の早さはお家柄と揶揄されています。
一方、桑名藩は藩主定敬が兄の会津藩主とともに幕府を支え続け、慶喜と行動を共にしていたので、藩の意見も分かれましたが、結局幕府方につきました。
しかし藩主不在の内に新政府方に従おうとする勢力によって城は開け渡されてしまいました。
その後がドラマになるほどの大混乱、杉本先生のお話は涙なしには聞けません。
ちなみに幕府軍が負けたのは慶喜が大阪から逃げたのが原因ではないかと言われています。