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伊勢神宮と江戸幕府

三英傑と讃えられる徳川家康は、織田信長・豊臣秀吉に負けず劣らずの神宮崇敬者でした。
その家康の神宮への敬神の念は幕府に着実に浸透します。 寛文9年(1669)の第45回式年遷宮は幕府の威信をかけて斎行されました。この前年に神宮では「斎館式」が定められ、両宮域内の綱紀粛正に努める動きがみられます。
寛文度で幕府の意向が遷宮に投影されるようになったとこれまでいわれてきました。しかし実のところ2回前の慶長14年(1609)の第42回式年遷宮に既に幕府がしっかり意見していたのです。
天正13年(1585)の第41回遷宮から両宮同年に執り行われる際、内宮と外宮のどちらを先に遷御するのかが相論となりました。それが慶長度でも問題となります。結果的に内宮が先と決められ決着するのですが、それを決した人物とは…。
その他式年遷宮では、歴史上知られる意外な人物が遷宮に勅使として差遣されたり、奉拝したりしています。その内容は聴講してのお楽しみ。今回は江戸幕府の神宮への介入を中心にお話しいたします。

講師 音羽 悟(神宮司庁広報室広報課課長)

日時

6月 26日(水)                   13:30~15:00

参加費

会員800円     ビジター 1,300円

定員

30名

場所

五十鈴塾右王舎

江戸幕府以前の伊勢神宮は、神宮の最も重要な行事となっている式年遷宮が南北朝の動乱期には20年に一度という制度は崩れ、室町時代になると約120年あまりの間中断せざるを得ない状態でした。
正殿など建物の荒れ様はひどくなり、神宮ではその後実権を握った織田信長に両宮造営への協力を要請しました。これに応じて、信長は社殿の造営費用を寄進し遷宮実現に尽力します。しかし、天正10年(1582)本能寺の変において倒れてしまったため、天正 13年の両宮式年遷宮を実現したのは信長の意志を継いだ豊臣秀吉だったようです。
こうした敬神の念は江戸時代の徳川将軍家に受け継がれ、造営奉行に命じて式年遷宮の全面的な協力にあたらせました。江戸幕府はどのように神宮へ介入していたのでしょうか?音羽先生にお伺いしましょう。