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土宮について

外宮第一別宮多賀宮の石壇を下りた所に土宮が鎮座します。
両正宮や他の別宮は南向きの殿舎ですが、このお宮だけは違って東を向いています。どうしてでしょうか。
平安時代末期に南面にしようという議論が朝廷内であったものの、見送られそのまま現在に至っています。これも謎です。
古代においては土社と称し、極めてささやかな小祠にすぎませんでした。しかし平安末期に昇格して土宮となったのです。
古来山田原の鎮守の神として大宮地主神(大土乃御祖神)をお祀りしていましたが、独立神社の形を具えなかった田社(現在の末社に相当)が別宮の宮号宣下を受けたのは驚きに値します。
それは破格の特進であり、会社に例えるなら、平社員が部長に抜擢されるくらいの昇進だったのです。
その理由は二つ考えられます。それを知るのは受講してからのお楽しみ。今回はこれらの謎を中心に解説します。

講師 音羽 悟(神宮司庁広報室広報課課長)

日時

9月 18日(火)                   13:30~15:00

参加費

会員800円     ビジター 1,300円

定員

30名

場所

五十鈴塾右王舎

ご祭神は、大土乃御祖神(おおつちのみおやのかみ)です。古くから山田原の鎮守の神でしたが、外宮の鎮座以後は宮域の地主神、宮川堤防の守護神とされ、平安時代末期に別宮に昇格しました。土宮の前は式年遷宮の山口祭、御船代祭(みふなしろさい)の祭場でもあります。

土宮は、長徳3年(997)の『長徳検録』には外宮所管の田社32前の1座として「土御祖神社(つちみおやじんじゃ)」の名を見ることができますが、田社とは今でいう末社にあたり、古代においては別宮ではありませんでした。田社から別宮の地位に昇格したのは特別な理由があったものと考えられます。

また、他の別宮が全て南向きするのに対して土宮だけが東面向きです。保延元年(1135)のご造営の際もこの点が問題となり、朝廷においても十分検討されましたが、結局は従来通り東面に建てられることになりました。古来いろいろと論じられてきましたが、理由の如何にかかわらず、東向きにご鎮座するということは外宮ご鎮座以前にさかのぼり、古くからの姿を残したものといえます。

土宮の謎について、音羽先生にお聞きしましょう。