イベント案内・お知らせ

甲賀の古社と古刹

伊賀市と亀山市に隣接する甲賀市は古代から都との関係が深く、西山先生から甲賀の神社仏閣は見るべきものが多いから行ってみましょうとのご提案をいただき企画しました春の講座は、コロナウイルス感染防止のため中止しましたが、再度企画をとご要望が多かったことから、内容を精査し再考させていただいて実施したします。
ぜひご参加ください。

メインの油日(あぶらひ)神社は南鈴鹿山脈の霊峰油日岳の麓に鎮座し、創建は聖徳太子の頃とも天武天皇の頃ともいわれます。
油日岳の山頂に油の火のような光と共に神が降臨したことから油日の名がついたとも伝えられています。
国指定の重要文化財である本殿、拝殿、楼門が一直線に並び、楼門の左右からやはり国の重文の回廊が伸びる堂々たる建築様式です。
映画テレビのロケ地にもなり、「わろてんか」「信長協奏曲」「居眠り磐音」など、ご覧の方も多いでしょう。

近くにある櫟野寺(らくやじ)は伝教大師最澄が彫ったと伝わる十一面観音を安置したのが始まりとされています。
残念ながら秘仏で拝観はできませんが、甲賀三大佛といわれる薬師如来坐像をはじめ、18体にも及ぶ重文の平安時代の仏さまが宝物館に収められそれは見ごたえがあります。

午後からは京都の八坂神社西門を模した楼門を持つ大鳥神社へ。
拝殿をはじめ、7棟の建物が登録有形文化財です。
祭神の素戔嗚尊坐像は国の指定文化財となっています。

最後は甲賀三大佛のひとつ、十楽寺の阿弥陀如来坐像を拝観します。
十一面千手観音、救世観音、お釈迦様の生母摩耶夫人立像などの仏像も見どころです。

甲賀って忍者だけじゃないのですよ。

講師  西山 克(京都教育大学名誉教授)

日時  9月25日(金) 8:00~17:00  ※こちらの講座は中止となりました

油日神社

油日神社は、南鈴鹿の霊峰油日岳の麓に鎮座し、明治時代までは「油日大明神」と称しました。
『 日本三代実録 』によれば、平安時代の 元慶 元年(877)に「油日神」が従五位下を授かっており、これ以前から存在することがわかる古社です。
古くは油日岳を神体山としたとされ、山頂には今も岳神社がまつられます。
中世になると、武士の崇敬を集め、戦国時代は上甲賀を中心とした武士は、地域の支配・運営のため同名中や郡中惣を構成しますが、油日神社はその拠り所となり、「甲賀の総社」と呼ばれ、信仰圏は広く郡域に及んだとされます。
国の史跡ともなる境内には、南北に本殿・拝殿・楼門 が一直線に並び、楼門の左右から廻廊が延びています。
廻廊が取り付く中世の神社建築は、滋賀県内でも当社以外にありません。
いずれも規模が大きく意匠に優れ質も高いもので、中世の神社景観を今に伝える貴重な文化財です。

櫟野寺 (いちいの観音)

福生山自性院櫟野寺は桓武天皇延暦11年に比叡山の開祖伝教大師様が根本中堂の用材を得る為に来られた時、霊夢を感じて此の地の櫟の生樹に一刀三礼の下彫刻安置されました。
日本最大坐仏十一面観音菩薩がご本尊様です。(秘仏で拝観はできません)
その後、延暦21年鈴鹿山の山賊追討に当たり、杣ケ谷を櫟野まで登られた坂上田村麻呂公は、当地鎮座の櫟野観音に祈り、鈴鹿山の群賊を平定することが出来たのです。(鈴鹿山の鬼退治と伝わる)
それ故将軍は当寺を祈願寺と定め、大同元年七堂伽藍を建立、永く当山守護の為に自ら等身の毘沙門天の尊像を彫刻されました。
そのほか、甲賀三大佛といわれる薬師寺如来像をはじめ、18体にもおよぶ重文の平安時代の仏様が宝物館に収められています。

大鳥神社

ご祭神は素戔嗚命で、その木像は国の重要文化財。
元慶6年(882)平安初期に伊賀国阿拝郡河合郷篠山嶽より大原中に勧請され、その後現在の地に移し祀られ、その当時は比叡山延暦寺の別坊が36院あったといわれています。
また、織豊時代に入っては社号を河合祗園社とも大原谷の祗園社とも称し牛頭大明神河合社牛頭天王といわれ、現在でも氏子の人々から「てんのうさん」とも呼ばれ親しまれています。
明治元年令達により旧大原荘の大の字と鳥居野の鳥の字を合わせて大鳥神社と改称。後柏原天皇大永元年(1521)拝殿が改築され、また境内に架かる石造太鼓橋は延享元年(1744)の架設で石工は京都の杉本文右衛門の作です。
平成14年には、復興した拝殿を始め7棟の建物が有形文化財として登録されました。
京都祇園西門を模した朱塗りの楼門・回廊を配した大鳥神社は、旧大原村の氏神として信仰を集めています。

十楽寺

滋賀県湖国甲賀三大佛の一つで、本尊は日本最大級の丈六阿弥陀如来坐像が安置されています。
ほか十一面千手観音、救世観音坐像、法隆寺と当寺がその形を所持している懐からお釈迦様が誕生されたお姿の摩耶夫人立像など天台のおりの様相を含めた仏像が安置されています。
天台の寺であったものが信長の兵火に会い消失しました。
寛文年間(1661年〜)巡化僧広誉可厭大和尚、現在の地に錫を留め専修念仏浄土の寂光を宣揚せんことを念願し広く十方有志の助成を仰ぎ万人講を勧募し本堂、庫裏、茶所を完成し、清浄山二尊院十楽寺と名称し念仏道場と定め、浄土宗総本山知恩院の直轄末寺となり今日に及んでいます。
当寺六世寂誉上人は祐天上人と兄弟弟子であったと言われ、当寺院におしのびで立ち寄られた際お書きになられた、丈六阿弥陀如来に合わせた祐天名号が保存されています。

参加費  会員 10,500円  一般 11,500円

(バス代・昼食代・拝観料・保険料含む)

集合場所  7:55に五十鈴川駅集合

定員  15名限定