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戦時下の宇治山田

第二次世界大戦下、宇治山田も6回の爆撃を受けました。その当時の事を覚えている方も少なくなってしまいましたが、今回は神様の都を襲った戦いのお話しです。
戦争も末期昭和20年の1月14日外宮への爆弾投下がはじまりです。
幸いに被害は少なく、この後も市内の各所、小俣や二見、瀧原宮にも爆弾が落とされ、被害が出ましたが、神宮関係のお宮の被害は大したことがなかったそうです。
最大のものは7月28・29日の空襲で、市街地面積の5割が焼け、4517戸が焼失しました。
外宮ではご正宮の御垣内に焼夷弾がふりそそいだものの焼失はまぬがれました。
内宮には40機ほどの編隊がせまり、神域に照準をあわせて焼夷弾が発射されましたが、奇跡的に五十鈴川向うの鼓ケ岳に落下し、内宮に戦火はおよばなかったそうです。
これらの空襲に対して神宮を守るために国や県、伊勢の人々がどう対応したのでしょうか。
二度とおこしてはならない戦争のさまざまな事実について、古老からの聞き取りも交えて山中先生にお話しいただきます。

講師 山中 一孝(豆腐庵山中代表取締役)

日時

2月 5日(月)                   18:30~20:00

参加費

会員800円     ビジター 1,300円

定員

30名

場所

五十鈴塾右王舎

第二次世界大戦末期、1945年(昭和20年)にアメリカ軍により三重県宇治山田市(現・伊勢市)への空襲がありました。当時「神都」と称され、国家的重要都市であった宇治山田を攻撃することで日本人の戦意を低下させる意図があったと言われています。伊勢神宮は手厚い防衛体制が敷かれた日本で唯一の神社であり、いかに重視されていたかが窺えます。

1月14日の外宮への爆弾投下を皮切りに6度の大規模な攻撃を受け、市街地の5割を焼失しました。被害の規模は三重県内で空襲を受けた津市や四日市市、桑名市と比較すると小さいようでしたが、空襲のあった日数はこれらの都市よりも多かったと言われています。
1945年(昭和20年)1月14日に宇治山田市にアメリカ軍のB-29が襲来し、宇治山田市で初めての空爆を行いました。これは、三重県で最初の本格的な空襲でした。

その後7月28日・29日に最大の空襲があり、外宮では正宮の御垣内にも焼夷弾が降り注ぎました。しかし、御垣内が火に包まれることはなかったようです。
また外宮の別宮である月夜見宮は、周辺の住宅がすべて焼失した中で、軍隊による懸命の消火活動と、萱葺屋根に突き刺さった焼夷弾が不発だったため、社殿だけが焼け跡に建っているという状態でした。
内宮ではアメリカ軍機が神域に迫り、次第に照準が正確になっていきましたが、神域に差し掛かったところで焼夷弾は五十鈴川対岸の山に落下し、内宮に戦火が及ぶことはなかったといいます。

戦争の中、伊勢の人々はどのように対応したのか、山中先生に教えていただきましょう。