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乞食坊主といわれた男 月僊

伊勢の古市街道沿いにある寂照寺は家康の孫娘千姫の菩提を弔うために京都知恩院によって創建されました。しかし江戸中期になると荒れ果ててしまい、知恩院の要請でその再興に取り組んだのが、画僧として当時名高かった月僊でした。彼の絵を求める人は多く、月僊は次から次へと描いては報酬を得ました。
あまりの多作と多額の報酬を得たために「乞食坊主」と陰口をいう人々もいましたが、彼は動じることなく蓄財に
はげみました。さてその財を月僊はどう使ったのでしょうか。それを山中先生に詳しくお話しいただきます。
こんな男前が伊勢にいたなんてと嬉しくなる講座です。

講師 山中 一孝(豆腐庵山中代表取締役)

日時

7月 5日(水)     18:30~20:00

参加費

会員800円     ビジター 1,300円

定員

30名

場所

五十鈴塾右王舎

伊勢で社会福祉に尽くした僧侶がいました。その人は伊勢古市の知恩院派、寂照寺の住職で画家でもある月僊です。
月僊は生まれつき絵が好きで、修行の傍ら雪舟12代目から絵を学びました。その後、京都の浄土宗総本山知恩院に修行することとなり、円山応挙の門に入り、与謝蕪村の絵や中国の絵画をも学びました。

寂照寺は徳川家康の孫娘、千姫を弔うために建てられた寺でしたが、江戸中期になると荒れ果ててしまいました。これを憂いた知恩院の大僧正は、寺で修行中の月僊にその再興を託しました。

京都時代、円山応挙が病気のため辞退した襖と屏風絵を描き上げたことで、月僊の名が世間に知れ渡っていました。伊勢でも月僊の評判は伝わっていたので大勢の人たちの求めに応じて絵を描いては報酬を集めたため「乞食坊主」と陰口を言う人もいました。しかし彼は動じることなく蓄財にはげみました。
なぜ、これほどまでに月僊はお金を貯めなければならなかったのでしょうか?
山中先生に詳しくお話いただきます。